大正13年、福田氏は福井市毛矢町で「はたご大工」として沢田幸吉氏のもとで仕事を始めた。
 当時の細巾織機は、はたご大工が作った木製の枠に京都の小森大助氏が考案したといわれる框を取り付けた手織り機で、こうした織機の修繕などははたご大工が引き受けていた。
 その後、福田氏らは従来の広巾織機を改造工夫して、動力2段框の細巾織機を製作するようになった。
 丸岡のマーク織機は京都から購入した3丁までの手織り機が中心だったが、福田氏らが動力式2段框のマーク織機の製作を始めたので、次第にこれに買い替えるようになり、生産量も大きく伸びていった。
昭和8年4月、福田氏は独立して細巾織機専門の製作所を開業した。
■ 丸岡における織マークの沿革─
京都の西陣で製造を学ぶ
寺岡氏と胡蝶ネーム製造所
細巾織物のルーツは明治末期
福田恭治氏の細幅織機製造
丸岡細巾マーク織物組合の結成
織マーク工業組合の認可
戦時統制によリー県一組合に
福井大地震で壊滅的な打撃
■ 織マーク業界の歩み─────
アメリカから大量の織マークの注文
細巾業者が大同団結し『危機突破大会』
オリンピックマークの受注経緯
輸出織マーク検査基準を制定
業界の結束を強めた織マーク連合会
調整組合が発足し過当競争を防止
織機買上げ、共同廃棄事業
昭和53年時の織ネーム業界のビジョン策定
紋紙工程のコンピュータ化研究
「原着糸」の共同購入
標準色の一括加工および販売事業
画期的な高速織機
「ニセ商品の織マーク」事件
高品質な「越前織」のブランドをめざす
少数激戦、まさにサバイバル時代
紋紙リーダーの導入と設備リース事業
振興開発グループの発足
ポリエステル原着糸(FS糸)の開発
インターネットによる情報の収集・発信
著作権所有者の許諾を得ず、私的使用以外の目的において、これらの著作物の全部または一部の複製は禁止されています