大正から昭和に時代が変わり、生活の洋風化とともに、織マーク、ネームの需要は大きく高まっていった。
 ようやく丸岡地方の織マーク製造が軌道に乗り始めだした昭和5年、「丸岡細巾マーク織物組合」が任意の同業組合として結成された。 昭和初期に、はやばやと丸岡に地場産業の同業組合が誕生したのは福井県では画期的なことであった。
 また、品質においても すでに試行錯誤の段階を過ぎ、製造技術を習った西陣の製品より勝るとも劣らない注文通りの製品が丸岡で生産出来るようになってきていた。
 製品は国内需要のほか、日本のアジア進出にともないインド、朝鮮、中国にまで輸出された。

 昭和10年12月、当時の工業組合法にもとずいて「福井県丸岡細幅マーク織物工業組合」が商工省より県内では最初の組合認可を受けた。正式な工業組合として公的に承認を受けたわけである。
 その頃では生産規模、品質など先進の京都、足利、桐生を凌ぐ織マーク産地として内外に認められるようになっていたといえよう。
 しかし、第二次世界大戦の勃発を前に、政府はあらゆる産業統制の施策を打ち出してきた。
 すべて「軍事優先」「統制経済」の時代の波が押し寄せてきたわけである。
 それでも昭和16年の開戦までは日本の大陸進行にともなって、織マークの需要は中国、朝鮮、南洋諸国などの輸出のほか内需もかなり活発だった。商品表示マークのほか支那服など民族衣装の襟飾りにガロン、ネームと呼ばれて用いられた。
■ 丸岡における織マークの沿革─
京都の西陣で製造を学ぶ
寺岡氏と胡蝶ネーム製造所
細巾織物のルーツは明治末期
福田恭治氏の細幅織機製造
丸岡細巾マーク織物組合の結成
織マーク工業組合の認可
戦時統制によリー県一組合に
福井大地震で壊滅的な打撃
■ 織マーク業界の歩み─────
アメリカから大量の織マークの注文
細巾業者が大同団結し『危機突破大会』
オリンピックマークの受注経緯
輸出織マーク検査基準を制定
業界の結束を強めた織マーク連合会
調整組合が発足し過当競争を防止
織機買上げ、共同廃棄事業
昭和53年時の織ネーム業界のビジョン策定
紋紙工程のコンピュータ化研究
「原着糸」の共同購入
標準色の一括加工および販売事業
画期的な高速織機
「ニセ商品の織マーク」事件
高品質な「越前織」のブランドをめざす
少数激戦、まさにサバイバル時代
紋紙リーダーの導入と設備リース事業
振興開発グループの発足
ポリエステル原着糸(FS糸)の開発
インターネットによる情報の収集・発信
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