昭和30年代は、織マーク業界にとって好況、不況を激しく繰り返した波乱に満ちた年代であった。
 本県の細巾織物の工場数は、昭和27年前後は200工場足らずであったのが、昭和34年には555工場に、昭和35年には980工場に飛躍的に増加している。
 しかし、1工場当たり織機保有台数は5、6台という零細な企業の乱立は当然、生産過剰、過当競争を招いた。
 昭和36年には過当競争が表面化し、生産秩序が乱れ、混乱状態になって休業する業者が続出、この年の人絹相場の暴落、低迷も反映して業界全体が不景気のどん底に突入した。

 そこで役員会を開き不況突破の気勢を挙げようと、同年4月27日に丸岡町で『危機突破大会』を開いた。
■ 丸岡における織マークの沿革─
京都の西陣で製造を学ぶ
寺岡氏と胡蝶ネーム製造所
細巾織物のルーツは明治末期
福田恭治氏の細幅織機製造
丸岡細巾マーク織物組合の結成
織マーク工業組合の認可
戦時統制によリー県一組合に
福井大地震で壊滅的な打撃
■ 織マーク業界の歩み─────
アメリカから大量の織マークの注文
細巾業者が大同団結し『危機突破大会』
オリンピックマークの受注経緯
輸出織マーク検査基準を制定
業界の結束を強めた織マーク連合会
調整組合が発足し過当競争を防止
織機買上げ、共同廃棄事業
昭和53年時の織ネーム業界のビジョン策定
紋紙工程のコンピュータ化研究
「原着糸」の共同購入
標準色の一括加工および販売事業
画期的な高速織機
「ニセ商品の織マーク」事件
高品質な「越前織」のブランドをめざす
少数激戦、まさにサバイバル時代
紋紙リーダーの導入と設備リース事業
振興開発グループの発足
ポリエステル原着糸(FS糸)の開発
インターネットによる情報の収集・発信
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