昭和40年代の末頃から酸性合成洗剤やさらには漂白剤まで一般家庭に出回るようになった。
これら、強力洗剤の出現により、45年頃制定された標準色の多くは脱色を起こし、また含金性の染料で染められたものは酸化によりレーヨンその物を溶かしてマークが消えてしまう事まで起こった。
 この事態に対処するため、組合では直ちに県工業試験場に試験調査を依頼するとともに、堅牢で色むらが出来ない『原着糸』の共同購入の方法を検討した。
 結果、組合では共同事業として昭和52年に新しい標準色としてクラレ原着糸を相当量仕入れる事となり、保管倉庫の建設が不可欠となった。
 また、在庫資産が過大になり組合財務をかなり窮屈にさせる結果ともなった。
 しかも、原着糸斡旋の代金は景気低迷の折、回収が遅延し資金繰りも大変であった。

  織マーク製品の品質を左右する最大のポイントは、指定された色柄をいかに風合い良く優雅に、しかも忠実に製品に再現しているか、である。
 しかし、現実には原糸により染色加工が異なり、染工場の技術、色宕感覚で微妙な差が出てくる。
 これまで染色加工、図柄の色指定をめぐるトラブルはかなり多くあった。
 こうした共通の課題を何とか解決する方法を模索した結果、組合が特定の染工場に標準色にもとづく見本帳通りの染色及びコンアップ加工を委託し、それを一括販売して色違いを未然に防止しようとしたものである。
 これには織マーク製品に使用する標準色を選定し、見本帳を作成して取扱い商社の受注段階でマーク製造業者が選定した標準色を使用してもらうことが第一条件である。標準色以外の色は指定しないようにしてもらうこと、また標準色以外の色は受注しない、ことが前提であるが当初はなかなか軌道に乗らなかった。
 しかし、組合が原糸を購入し、染色加工して組合員に必要な色を必要な量だけ販売することは確かに協同組合の精神に沿った事業だが、反面個々の独自性がなくなった、とも言える。
■ 丸岡における織マークの沿革─
京都の西陣で製造を学ぶ
寺岡氏と胡蝶ネーム製造所
細巾織物のルーツは明治末期
福田恭治氏の細幅織機製造
丸岡細巾マーク織物組合の結成
織マーク工業組合の認可
戦時統制によリー県一組合に
福井大地震で壊滅的な打撃
■ 織マーク業界の歩み─────
アメリカから大量の織マークの注文
細巾業者が大同団結し『危機突破大会』
オリンピックマークの受注経緯
輸出織マーク検査基準を制定
業界の結束を強めた織マーク連合会
調整組合が発足し過当競争を防止
織機買上げ、共同廃棄事業
昭和53年時の織ネーム業界のビジョン策定
紋紙工程のコンピュータ化研究
「原着糸」の共同購入
標準色の一括加工および販売事業
画期的な高速織機
「ニセ商品の織マーク」事件
高品質な「越前織」のブランドをめざす
少数激戦、まさにサバイバル時代
紋紙リーダーの導入と設備リース事業
振興開発グループの発足
ポリエステル原着糸(FS糸)の開発
インターネットによる情報の収集・発信

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