昭和57年頃から、町内においても「レピア式織機」を導入する織マーク業者が出始めた。
レピア式織機は広幅用の織機を利用したもので、タテ糸ヨコ糸共全ポリエステルで製品を織りながら同時にヒートカットしていく機械である。
しかも、11mmから(当時 朱子織りなら100mm・平織りなら200mmまで)ミリ単位で好きな幅が作れ、従来のシャトル織機に比べてかなり高速に製織ができた。また、管巻き作業も必要なくなり、ヨコ糸も8色まで使用できるという画期的なものであった。
 しかし、ヒートカットのため、従来のレーヨン糸が使用できない、切り口がやや固くなる、レピア製品の単価設定など 新たな課題も出てきた。
これに続き「ニードル式織機」も導入されるようになった。
ヨコ糸のとめ方がミシンのように編みながらとめていく方法になっていて、タテ糸ヨコ糸共全ポリエステルで製品を織る。織り巾は固定だが、耳の肌触りも柔らかく高速で製織できるが、レピア式織機同様フルバックになるほか、他の織機に使用する半分位の太さの糸が要求された。

 昭和57年9月、組合宛に大阪繊維協会商標問題連絡協議会から有名ブランド商品の商標偽造並びに類似品問題に関して協力と認識、偽造商品に付けられたマーク等の連絡について依瀬を受けた。
 特に、マークを付けた偽造商品は世界的な有名ブランドであり、巧妙に一般には見分けの付かない偽造品が大量に出回り組合では大変困惑した。
 組合では、マーク生産者がその品質、製造等に責任を持つため、昭和53年以降から製品に工場番号(責任番号)を付している。
 従って、その番号から生産業者が判明するが、納品したマークが偽造商品に使用されてもマーク生産業者にはそれが分らないし、また責任も持てない。
 福井検察庁では工場番号を入れ偽造防止を行なっている以上、マーク生産者はその責任を問われない、と言っている。
 しかし、そうした盗用を承知で生産しているような誤解が生じたのは大変に遺憾であった。
■ 丸岡における織マークの沿革─
京都の西陣で製造を学ぶ
寺岡氏と胡蝶ネーム製造所
細巾織物のルーツは明治末期
福田恭治氏の細幅織機製造
丸岡細巾マーク織物組合の結成
織マーク工業組合の認可
戦時統制によリー県一組合に
福井大地震で壊滅的な打撃
■ 織マーク業界の歩み─────
アメリカから大量の織マークの注文
細巾業者が大同団結し『危機突破大会』
オリンピックマークの受注経緯
輸出織マーク検査基準を制定
業界の結束を強めた織マーク連合会
調整組合が発足し過当競争を防止
織機買上げ、共同廃棄事業
昭和53年時の織ネーム業界のビジョン策定
紋紙工程のコンピュータ化研究
「原着糸」の共同購入
標準色の一括加工および販売事業
画期的な高速織機
「ニセ商品の織マーク」事件
高品質な「越前織」のブランドをめざす
少数激戦、まさにサバイバル時代
紋紙リーダーの導入と設備リース事業
振興開発グループの発足
ポリエステル原着糸(FS糸)の開発
インターネットによる情報の収集・発信
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